『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

いやーお久しぶりです。
二ヶ月前の映画の感想を今書くっていうのはね、凄く新鮮な気持ちですよ。
ええ、単にずぼらなだけですよね。すいません。(2012年4月13日に書いています。)


さて今回は『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の感想を書きたいと思います。



ポスターだけ見て前情報を一切いれずに観に行ったんですよ。
なので、始まるまで3Dアニメかと思っていました。

こんなぼけたーんとした見方で観たんですが最初の方のシーンで既に心を掴まれました。

シーン自体も良くて、少年が父親に課題を出されて解いていくというだけの映画でも良いんじゃないかと思うくらい素敵な親子の姿でした。

特に父親役のトム・ハンクスのあの*1仕草が結構気に入りまして、
「トム!もっとだ!もっとやってくれ!」と心の中で願っていたりしました。(好き嫌い分かれそうでしたけどネ。)


しかししばらくすると物語の流れが大きく変わって、少年は父親を失ってしまう。
この父親を失う時の理由と言いますか、設定に嫌悪感を抱いてしまう方もいらっしゃったみたいですが、
僕は

・少年の一番の理解者であった父親を失ったということ
・その理由がとてつもなく理不尽なことだということ

この二つのことを表したかったんじゃないかと思いました。(もちろん、それだけではないですが。)


前に「素敵な親子の姿」と書きましたが、それは父と子だけ見た時のことであり、
それも「素敵な親子の姿」に見えていただけであったことが父の喪失から浮かび上がってきます。


要はお母さんと主人公の息子はもともと上手くいっていなかった、少なくともその不和が表面化していなかっただけだと。

ここからは深読みですが、主人公のオスカー君はアスペルガー症候群の疑いがある*2んですが、
そのことを察知していたのかしていなかったのか、とにかく息子が他人とのコミュニケーションをうまく取れないことをわかっていた父親は、
オスカー君に次々とフィールドワークをしないと解けないクイズのような課題を与えていた。
この課題(仕事、なんて表現されてもいましたが)はオスカー君の苦手な他人と交流するということ、
そして得意な何かについて調べるということの二つを同時に行っていてオスカー君にとって(長所を伸ばし短所を克服するという)物凄くプラスに働いていたと思います。
しかし、そんな独自の教育法を行っていたお父さんは良くも悪くも出来過ぎていた人だったんですね。
お父さんの存在が巨大過ぎて、お母さん一人にはその役割は荷が重いものでした。夫(父)がいた時でさえ少しもやもやした関係だった
息子との距離が更に近いものになり、どう接して良いかわからないという感じがひしひしと伝わってきました。
はっきり言ってあんな魅力のある人間の代わりをしろって言われてもほとんどの人が無理ですよ!(笑)
しかも共働きであったようなので、家事、仕事、子育て、そして親の面倒までみなければならない。
更に自分も夫を失って深く傷ついているのに・・・という三重四重の苦しみがある中でそれでも立ち続けなければならないという・・・。
なんともまぁ心中お察し申し上げますといった感じでした。

ただそんな悲惨な部分を極力抑えて、最後の方までオスカー君視点にしたのは偉いと思います。
仮にそんなことを過剰に押し出して過度な説明を加えていたら「ものすごくうるさくて、ありえないほど鼻持ちならない」
作品になってたと思います。(全然上手くないヨー。)


勝手にオスカー君に感情移入してますがこのお子さんa.k.aクソガキものすごくうるさくて、ありえないほどウザいんです。
もちろんアスペルガー症候群ではないかということがあるので、その表現だけだと誤解が生まれそうですが、
これは単にそういう症状があるからといって差別している訳ではありません。
むしろ、〜〜の症状があるから、〜〜の病気だからといって全てを覆いつくす方が危険だと感じるのです。
子供は全て純粋無垢だとか、全肯定するべきだとかはおかしいと思うし実際思われる方からしても迷惑だと思います。
個人個人で良い所もあれば悪い所もあるし、人間というものは得手不得手があって当たり前じゃないでしょうか。
「ウザい」ところがあるからこそ愛せるんだと僕は思いますけどね。
病気や症状ということ、もっと言えば「あの人はああいう人だから」ということに囚われ過ぎてその人自身を見ていなかったりするのはよくある事だと思います。
常々思うのですがそれはその人や問題と向き合っているのではなく、「これはこう、あれはああ」とパターンやイメージを付けて自分を安心させたいだけなんじゃないかと。

このことは前に感想を書いた『50/50 フィフティ・フィフティ』の中の主人公と彼女の関係でも少し触れましたね。


で、話を戻すと、このオスカー君のどこに惹かれたかと言うと、「コミュニケーションは苦手だけど、必死に伝えようとする姿」なんです。
しかし人を傷つけたり、良いとは言えない方法で伝えたりもしてしまっているので、美化する訳ではないですが、
それでもオスカー君ぐらいの年齢ではきちんと相手に伝えるということをしておかなければならないと思います。
なぜ今回「〜〜しなければならないと思います」という表現が多いかというと、僕自身オスカー君ぐらいの年齢の頃に、
「きちんと」コミュニケーションを取るということをしなかったからなんです。
それは口数が少ないということでは無く、口数は多く割と社交的だったのですが、ニュアンスで物事を伝えてしまっていたんですね。
また、時々得も言われぬ感情になってしまった時(激しい喧嘩をした時など)、その感情をどう表現していいかわからずに悩んだりもしました。
そういった時に親や大人がその感情や気持ちをないがしろにするのではなく、上手く表現出来るように引き出してあげるのが大事なことなんじゃないかと思うのです。

本作の物語の中でも夫がいなくなってから最初の方は、上手く接することが出来ず、対立しあってしまった母と息子だったんですが、
それでもどうすれば良いか考えることを止めなかったことで、最終的には二人の気持ちが通じ合えたんだと思いました。
お母さんも良かったよ!
あ、あとそのお母さんが取った行動について「全部仕組まれていたことの様で白けた」といった感想をお持ちの方もいらっしゃるようですが、
こと子供についてはそれで良いんじゃないでしょうか。そういう役割をするのが親という存在なのではないかと思います。


色々と書きましたが、僕はこの映画は良い映画だったと思います。また観たいです。


少し真面目ぶって書き過ぎましたが、過去の自分の姿とも重なって見えたので長文になってしまいました。
読んでいただいてありがとうございました。



<補足>
・今回のトムのような父親が欲しい。(スパイじゃない方)
「○○が代わりに死ねばよかったのに!!」←これラストワードね。現代社会を生きる方々は思っても言ったらダメですヨ。
・オスカー君の家の人々に注目し過ぎて、途中で出てきたおじいさんをあまり観てませんでした。
・おばあちゃんのトランシーバーシーンは良かったです。ちょっと萌えました。
・「テロ」関連のことについてですが、ホントにギリギリのラインでしたね。もう少しでも悲惨さが打ち出されていたら僕も心のバランスが崩れていたかもしれません。
「母親とのちぐはぐなコミュニケーション」という部分では『カラフル』にも似た所があるんじゃないでしょうか。
・ちなみに僕はアスペルガー症候群かどうか診察されていないのでわかりません。ネットでの診断の様な物がありましたが、
 あれによると違うそうです。ま、飽くまでネットのチェックテストだけなんで当てになりませんがねー。
・オスカー君を演じたトーマス・ホーン君良かったですねー。これからも頑張っていただきたい!(光宗薫に・・・ハイ見えてないですなんでもないです)
・一番最初に思ったこと、トム・ハンクス老けたね!!
(予告でやってたトムが出る「大学生おじさん」みたいな映画も観に行きたいな)
・でもホントああいうクイズみたいなので育てて貰えたら幸せだろうなー。親からすると相当難しいだろうけどw

*1:┐(´ε`)┌

*2:劇中では軽く否定されていたので飽くまで疑いですが