『ドライヴ』(フィルム上映)
劇場では二回目だったのですが、今回はフィルム上映(!)だったので、貴重な体験をしました。
フィルム上映する映画館自体がもはや絶滅危惧種の今、『ドライヴ』をフィルムで観れたのは・・・これは「大阪万博で月の石を見た」ぐらい自慢できることなんじゃないですか?(言い過ぎ)
で、感想なんですが、フィルムのザラザラした感じとか昔からある映画館なので年季の入ったスピーカーから聞こえる音楽とかなかなか味のある感じでした!
本来凄い綺麗な映像を使った映画なので、なんだか不思議な感じでしたが、ああいうのはあまり味わえるものではありませんねぇ。
『96時間 リベンジ』でも「なんだその引用の仕方は!!」という音楽の使われ方をしていたように、
様々な方面に影響を与えた『ドライヴ』ですが、一回目劇場で観た時には気付かないことがありまして、ここからはそれを少し書こうかと思います。
<ここから内容について突っ込んで書きますので完全にネタバレしますのでご注意ください!>
『ドライヴ』で使われている曲の中に「A Real Hero」という曲があるんですが、この曲が本編で使われる場面というのが二つあります。
まず一つ目は、主人公が務める車の修理工場からの帰り道、主人公がアイリーンとベニシオ(アイリーンの息子)を連れて寄り道(ドライブ)する場面です。
これはわかりやすいですが、スタンダード(アイリーンの夫)がいない期間が長かったアイリーンとベニシオにとって
父親的な行為をしてくれた主人公はヒーローだったということなんじゃないでしょうか。
特にベニシオにはかけがえのない思い出になったと思われます。
二つ目は、終盤死闘を繰り広げた主人公が車に運転席に乗り、瞬きもせず遠くを見つめている場面。
しばらくすると「A Real Hero」がうっすらとこだまのように聴こえてくるんですが、
その後の流れを説明すると、
曲が完全に聴こえてきた辺りで主人公は車にエンジンをかけ、走らせる。
次に映し出されるのは主人公の部屋を訪ねてくるアイリーン。しかし部屋からは反応は無く、アイリーンは複雑な表情で自分の部屋に帰る。
という感じです。
今書いた前者(一つ目)がベニシオにとってのヒーローとするならば、
後者(二つ目)はアイリーンにとってのヒーローと言えるのではないでしょうか。
後半やや複雑な内容ですが、主人公がいなければアイリーン(とベニシオ)の命は危なかったですし、
自分に関係の無いことに対して命を賭けた主人公は曲の指すメッセージと重なると思います。
また前者の場面ではアイリーンの母親としての側面、後者の場面では女性としての側面が見られるのも面白いです。
監督が同じ曲を二回も本編で使ったのはこういう意味があったのではないかと思います。
次に、終盤の死闘の後の主人公についてですが、僕は死んでいると思います。
先程も説明した通り、「A Real Hero」が流れる前まで微動だにせず、少し開けた(開いた)目で遠くを見つめているのですが、
「A Real Hero」が完全に聴こえてきて再び主人公が動き出すまで、(時間にすると1分ないくらいですが)一切瞬きをしないんですね。
そして車でどこかへ走り去るのですが、
つまり
・動かなかった主人公が間を置いて瞬きをしたこと
・どこかへ走り去ったこと
この二つの点から僕は主人公は死んでしまったと思いました。
ただ死んでしまったという表現なら目を閉じたまま動かなければ良いのですが、「A Real Hero」が流れてきて以降は
映画内で現実に起こっていることではなく抽象的な表現なんだと思います。
格好をつけた表現だと「仕事を終えた彼は天国へのドライブを走りだした」といった感じに見えました。
もちろん色んな解釈の余地は残していますし、これが正解とは思いませんが、こういう見方も出来る良いエンディングだったと思います。
僕が言いたかったことは大体終わったので(笑)、次の映画の感想に移りたいと思います!
〜補足など〜
・ていうかもし生きてるなら夜道走ってないで病院池!
・最後に主人公の部屋をノックしても反応が無く、自分の部屋に戻ってくる時のアイリーンことキャリー・マリガンの「全てを悟った感」のある顔よ・・・!たまらん!
・「あのアゴ・・・ヒーローやったんや・・・」って感じも出ててたまらん!!
・スタンダードのクズっぷりよ!!
・ロン・パールマンの分厚い唇は世の女性が憧れる