『エリジウム』



(惚れた女の為ならエンヤコラ・・・!)


『第9地区』の監督がまたSF撮るよ!ってことで観に行きました。
この予告動画じゃないバージョンで「そこ(エリジウム)が偽りの楽園でも〜」みたいなことを言ってたから
てっきり『トムリビオン』的な「そんなもんありませんでした〜!!」みたいなオチかと思ってましたが違いました。
これからご覧になる方で、そういった肩透かしにビクビクしている方がいらっしゃったら言っておきたいのですが、ご安心ください。エリジウムはあります。

さて、感想ですが一言で言うと超下衆いし欠点はある映画だけど感動するし、話的には結構深みのある良い映画だと思いました。


先に良くなかった所を挙げると、描きたいものがはっきりしすぎて監督が興味ないことがあまりにもわかりやすすぎる所ですね。
後述しますが、武器や乗り物などは凄く凝っていてカッコ良いんですが、
例えば主人公が職場でロボットを加工(?)する作業をしてる最中に誤って大量の放射線を浴びてしまうんですけど、
その時の主人公が「あああああ!あかん!あかん!!」みたいな感じでなんか「オーブンにでも入れられたのかよ」って感じで引っかかりを感じてしまいました。
(人体への放射能汚染描写としてもイマイチでしたし)
あと、その直後主人公が務める会社の社長がやってきて「めんどくせーから薬渡してそこらへんに捨てとけ!」って感じで身捨てることで
主人公の恨みを買ってしまうという結構重要な場面があるのですが、経営不振とはいえ生産ラインに社長が来る必要がわからない上に、
きったないつなぎを着ている社員だらけの中、富裕層のイメージを付けたかったからか社長だけスーツを着てるのも浮いてしまっていたし、
そういう違和感を紐解いていくともうちょっと考えられなかったのかなと思う所は多々ありました。

ラストが重要なのはわかるんですけど、例えば現実世界にあるものだから細かいことに違和感が生まれるんだから、もう思い切ってゲッター線みたいな名前を付けてしまうとか、
恨みを買ってしまう所もストーリー上必要な場面なんだったらせめてスーツ着た「人間の秘書」くらいつけてくれないと、
社長一人だけスーツって、バカ倒産寸前なのに見栄張っちゃってる悲しいヒトに見えちゃいますよ。
それかもういっそのことエリジウムにいる社長が、ビデオチャットで現場の部下に「そいつ捨てちゃって」という指示を出してるのを主人公が隣の部屋で聞いちゃうとかね。

結局何が言いたいかっていうと、こっちもSF的な要素を楽しみにして観に行っているのに変な所に気を取られると本題に集中できないんですよ!


肉がうまい店に肉を食いに行って、前菜として「しめじとかにんじんとかを煮てから炒めた奴です」ってわけわかんない料理出された気分ですよ。(わかりにくい例え)

要は無難でも良いからちゃんと興味ない所も作って欲しいなということです。


さて、ここからは良かった所なんですけど、
やっぱり上にも書きましたが武器とか戦闘機みたいな乗り物とか、あとパワードスーツみたいなのはカッコ良かったですよ。
「車に乗って銃を撃って金持ちを襲う」っていうやってることは完全にギャングなんですけど、銃とか武器とかが凝っているだけでもっと魅力的なものになるんだなと思いました。
そしてこの映画の魅力は下衆さ!というかM・クルーガーという男!
主人公を最後まで邪魔する性格最悪で最強のおっさんでそのヤバさが原因でクビになっちゃうんですけど、
クビの理由は設定的には「15件の非人道的な行為をした為に〜」ってなってるんですが絶対もっとやってるだろ・・・!
って思うくらいクズおじさんでした。

ここまで「人間として終わってる」感のある敵キャラってなかなかいないと思いますよ。
美学とか哲学とか、そういったものを中途半端に持たせたことによってこじんまりしちゃうことが多いと思うので、
単純に「こいつとは一生関わり合いを持ちたくない」と思わせる様なこのキャラを作っただけでもこの作品は素晴らしいと思います。


あと、近未来SF的な楽しみ方が出来るだけに見逃されがちだと思うんですけど、
もう本当にどうしようもない所から文字通り粉骨砕身をして世界を変え、未来へと希望を繋げる話なので、凄く好きです。
こういう話自体が僕にとって希望になるので。
アメリカの宗教文化的な側面から考察すると、主人公がしたことは「自己犠牲」という風に捉えられるかもしれないんですけど、
僕はそこは意識してないというか、もはやそういうの通り越して結局主人公は自分がしたいことを貫き通したんじゃないかって思うんですよね。
「俺が死んでも皆が幸せなら」っていう気持ちももちろんあると思うしそもそも自分が助かる為に行ったわけですから、
それがどんなに辛いことかっていうのもわかりますけど、その反面、自分は何者でも無かったけどクソみたいなこの世界を変えてやる!
っていう思いが主人公の中で後半強くなっていったと思うのでそう思いました。


引っかかる所も少々ありましたけど、僕の中では結構勇気づけられる映画でした。


<補足等>
ジョディ・フォスターもヤな中年の役が板に付きましたな
・M・クルーガーの人、『第9地区』のあのヘタレ主人公ってこの感想書くまで気付かなかった・・・
・この主人公から出てる童貞臭半端じゃない
・「お前とは付き合えんが、私の娘を救え!」と言ったあの幼馴染許すまじ!
・で、そのM・クルーガー役のシャールト・コプリーを調べてて知ったんだけどハリウッド版『オールドボーイ』の監督ってスパイク・リーになったの!?(唖然)

『タイピスト!』

京都シネマで観ました。

サムライカンフー(id:samurai_kung_fu)さんが「『オーバーザトップ』みたいな映画」とブログで書かれていたので観に行ったんですけど、
よく読むとそんなこと書いてませんでした。すいません。『オーバーザトップ』に目がないもので。(どんな言い訳だ)

ちなみにそのサムライカンフーさんの書かれた記事はこちらです。

ゾンビ、カンフー、ロックンロール

「2013年、カイダノフスキー夫妻が登場しないサマー・ムービー」
http://d.hatena.ne.jp/samurai_kung_fu/20130820



(私、やったる!!!)


これはたまらんですよ。


久しぶりにキタッ!って感じですね!
小規模だし、多分そんなにお金もかかってないんですけど(推測)、
この映画の愛らしさと面白さは十分ですよ。十分にあります。


大体こういう映画にありがちなのは・・・っていうかフランス映画にありがちなのは、
「こういうの〜オシャレでっしゃろ〜〜?こういうの観れるだけで満足でっしゃろ〜〜??」っていうオシャレで固めました!みたいな
内容が伴っていないものが多いんですけど、この映画はちゃんと内容もしっかりしてて良かったです。


とにかく前半はディズニー映画かもしくは少女マンガかっていうくらいおてんばな天然の女の子が巻き起こすドタバタコメディっていう感じで、
それこそ映画の中に出てくるカリカチュア(誇張)されたラブコメ映画の主人公みたいな子が
「〜もしも秘書がドジな田舎娘だったら〜」っていうドリフのコントをしてるみたいな内容で微笑ましいし、
それを観てるだけで満足なんですけど、ちゃんと話としても起承転結があってしっかりしてましたよ。

特に後半、前半とは打って変わって結構ビターな感じになっていくんですけど、観た後「ハッピーエンディングだったけど・・・うん・・・」って
なるくらい途中で現実をみせつけている所も良いなと思いました。

ま、実話ベースらしいので、当然そういう所は避けられないにしても、
しっかり「えええ・・・」っていう所も見せてて、ただのジャンル映画に終わってない感じが良かったです。
(途中「こんなに濃いの、いる!?」ってくらい濃厚なセックスシーンもありますし)


冷静に考えるとそんなに「ここが凄い!!」っていうところはないのに、なんでこんなに惹きつけられるんだろうって考えてたんですけど、
やっぱり美術的なセンスの良さは第一にあるんですが、その次に「人が真剣にタイピングをする姿」を映してるからだと思います。
あんまり人が真剣にタイプライターを打っているのなんて『シャイニング』以外で観たことないし、(しかもあれは目がイッてるし)
タイピングを競い合うっていう所も良くて、凄く正確さが問われるものなので、主人公が実際にどれ位正確に打てているかとか、
他の人と比べてどれ位速いかみたいなこととかは具体的にわからなくても、あのタイプライターの音や行を変える為に動かす仕草を映すだけで
十分「凄いんだな」っていう説得力が生み出されているんだと思います。

なんか一生懸命タイプライターを打つ主人公の女の子の姿を観るだけで快感なんですよねー。


「彼女のした行為っていうのは実はこういうことが暗示されていて〜」みたいなことを恐らくないでしょうし、
そんなたいそうな映画ではないんですけど、ちょっと疲れたときの休息としての「お菓子」的な感じの映画としては最適だと思いますよ。


最後に言いたいのはデボラ・フランソワが可愛い!!!



<補足等>
・ドジで体当たりな感じと、デボラ・フランソワの眠そうな目がアナウンサーのナタリーこと小林悠さんに似て・・・いや、なんでもないです
・社長(ロマン・デュリス)スケベそうな顔してたな〜〜〜〜〜!
・まぁ、ぶっちゃけ前半のテンションで最後まで行ってくれても良かったけどねー
・「田舎から抜け出したる!!」っていうああいう感じの描写が出てくる映画はそれだけでもうオッケーだ!



あんな可愛くてドジで最高な秘書、いないけどね!ハハ!(現実を突きつける)
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『ウルヴァリン:SAMRAI』

TOHOシネマズ二条で観ました。




(SAYONARA…)


先に言っておきますが評判があれだったんで僕『ウルヴァリン ZERO』観てないです!
でもブライアン・シンガー版『X−MEN』シリーズと『FIRST CLASS』を観てたんで内容はわかりました。

もともと『X−MEN』シリーズってあんまり好きじゃなくて(映画のね)、むしろ
『FIRST CLASS』がめちゃくちゃ好きだったので、凄く期待していたんですが、
またブライアン・シンガーに戻ると聞いて「大丈夫かなー」なんて思ってた矢先の本作。

今回の監督はジェームズマン・ゴールドということで、
正直「誰だよ」と思いました。
(『ナイト&デイ』とかの監督らしいですよ。)


ほいで肝心の内容なんですけど、
僕は「んー・・・」という感じでしたね。

はっきり良かったところは日本人キャストですね。
まずなんといっても赤毛のユキオを演じた福島リラさんですね。
あの風貌といいアクションといい他の人ではあの役は出来なかったんじゃないかと思うくらい独特な方でした。
あとマリコ役のTAOさんも良かったですね。幸薄そうな感じとか、綺麗だけど芯の強そうな感じとか。

あとはなんと言ってもHIROYUKIこと真田広之さんですね!(そんな呼び方はされていない)


正直不満はありますよ?最後まで噛ませ犬みたいな役柄ですし、何よりアクションシーンがあまりなかったのは残念ですね。
最初の剣道のシーン(あの二刀流なんだったんだ)と最後の方で「ぐへへへへへ・・・ウルヴァリンシネー!!」って言うところしかなかったですからね。
ジェームズマンはHIROYUKIのことをもっと調べるべきですね。猛省を促しますよ!(誰だ)

でも「影の軍団」なのに忍者にボコボコにされる真田広之は爆笑したので
監督がその文脈をわかってるのか知りませんが僕は評価します!


良くなかったところ。
これは・・・やっぱりラストの隠れ家、兼、基地みたいな所でのアクションシーンですね。
というかあのシーン丸ごと残念でした。
僕アメコミ自体をちゃんと読んでいないのでわからないんですが、シルバーサムライってあんなんじゃなかったよね・・・?(ていうかあれロボだよね)
あと頭皮ズル剥け姉ちゃん(※ヴァイパー)もいまいちパッとしなかったし、楳図かずお大先生の『へびおばさん』
超えるインパクトもなかったのでもう全然だめですね。

「お前そもそも日本人ちゃうやろ」っていう忍者のリーダーの人も「マリコマリコ」しかほとんど言ってなくて薄っぺらかったなー。

この作品の感想で、たまに「間違った日本描写」って文字観ますけど、それにしては中途半端ですし、
なによりちょっと狙ってる感じがつまんなかったです。(やるなら『バベル』くらいやって欲しい物です)


総評としては、失礼ですけど僕の中でこの表現がぴったりはまったので言わせていただきますと、
「一年を振り返った時に真っ先に忘れる系の映画」という感じでした。

別に「最悪!」でも「最高!」でも「感慨深いね・・・」でもない感じでした。
次回作、ウルヴァリンが過去に行くらしいのですが、はっきり言って不安しかありません!!!



<補足等>
ファムケ・ヤンセンのことはもうほっといてやれよ!!
・そもそも「お前、死にたがってたよな。俺生きたいから、交換しよ?ね?ね?ウィンウィンだから、ね?」ってどんだけ厚かましいんだよ
・あんだけデカい寺であんだけ国家の主要人物が集まってテレビで中継されてる中ヤクザがドンパチ始めちゃう日本は終末感すらあったよ
・イケすかねー防衛大臣的な役を『ワイルド・スピードx3 TOKYO DRIFT』のD.K.が!
・ラブホ行ってもセックスしないクズリ
・熊と話すクズリ
淫夢は見るクズリ
・人の別荘で人妻抱くクズリ
・タイトル、『ウルヴァリン:SAYONARA』の方が良かったんじゃないの!?

『許されざる者』

どうも!もう冬ですね!
(今日は12月5日です。)


この日もムービックス京都で観ました。




(基本的な展開は完コピです)


「(余裕持っていくか・・・)」なんて思って行ったら時間を間違えてしまってて既にちょっと始まってたパターンをしてしまい、
この前に観た『マン・オブ・スティール』もちょっとギリギリだったので猛省したことを覚えています・・・。本当に申し訳ない。


普段そんなことがないだけに、新たなことに気付きました。開映してから入ると、いきなり真っ暗なのでこけそうになります!!(プチ情報)



さて本題に入りたいのですが、僕、元の『許されざる者』を観ずに行ったんですね。
で、「あぁ〜・・・ふぅん」みたいな感じで観終わったんですけど、
その帰りにTSUTAYAでクリント・イーストウッド版を観たんですが

まぁ面白い!


あのですね、展開はほとんど一緒なんですよ。ちょっと違うだけでほぼ完コピ。
だけど圧倒的に違う所が一つあるんですよ。それは今回のリメイクには「笑い」が無いということ。

それはいわゆるコメディということではないんですが、この作品のストーリーは凄く人情味のある話と言いますか、
人の情に訴えかける部分が根幹にあるからこそ惹きつけられると僕は思うんです。

人の生活を描くということは、喜怒哀楽、悲喜交々があるわけですよ。
だけど僕は今回のリメイクには重さ、苦しさ、悲しさしか感じ取れませんでした。

例えば女郎部屋で事の発端となる事件が起こって、その手打ちとして後日馬を持ってくるシーンがあるんですけど、
納得のいかない女郎(遊女)達が怒り狂って「二度と来るな」と言って追い返す所。
一見すると同じシーンなんですが、リメイク版は小池栄子扮するリーダーを筆頭に本当に心から許せないという感情をぶつけている様、
そして二人組の主犯格では無い方の男を可哀想と思ってしまう位の悲壮感で撮ってしまってるんですね。
対するイーストウッド版は、娼婦が個々に真っ直ぐな怒りのぶつけ方をしていて滑稽さすら感じさせていました。
こちらの主犯格では無い方の男は不器用ながらも自分の連れがしてしまったことに申し訳ないという気持ちを出しつつ、
でも「自分はしていないのに・・・」という罪の自覚の無さまでその短いシーンで表していました。

もっと単純で、もっとわかりやすい所を言うと、賞金に釣られてやってきた賞金稼ぎの男が
その町の保安官にボコボコにされて追い出されるというエピソードがあるんですが、
そこで一緒にいたその賞金稼ぎの男の伝記を書いている作家がおしっこを漏らしちゃうんですね。(イーストウッド版)
こういう情けなくて「どうしようもねぇなぁ」って思うけど、それが人間だなぁって感じる描写が元のイーストウッド版にはあったんですよね。

リメイク版が好きな人は「いやそういうのはリメイク版にもあった」っておっしゃるかもしれません。
確かに柳楽君が演じる沢田という男の登場シーンは「酷く泥酔して人に絡む」という所でどうしようもなさがありました。
ただ、そこだけを取り上げて書くとそうなのですが、そのシーンが内容に対しての時間が長いんですね。
この映画全体に言えることなのですが、一つ一つのシーンが長い割に大事なことはちゃんと説明してくれないんですよ。
なんでそれが駄目だなと思うかと言うと(「長いのは退屈だから」という理由ももちろんありますが)
長いということはなんらかの重要な意味があり、意図的に長くしていると思うんですよ。そうじゃないと長くする意味が無いですしね。
邦画全体に言えること(もちろんそうじゃないのもありますが)なんですけど、やたらと「シーン・・・」みたいな空白の場面を入れるのは
本当にやめていただきたいのですよ。物語を集中して追えないし、「観る」じゃなくて「観させられている」という感覚に陥って楽しめないですから。


その他にも、上に「ほとんど完コピ」って書きましたけど、変えている所もあるんですよ。
やっぱり大きいのはキャラクターの役割の配置変えですね。
観てない人にもわかるように説明すると、イーストウッド版では若い男が主人公の所にやってきて一緒に賞金首を殺して稼ごうという話を持ちかけ、
苦しい生活から抜け出す為に引き受けた主人公が友達のおっさんを連れて賞金首を始末しに行くという感じ。
リメイク版ではおっさんが渋る主人公を誘って、賞金首を始末しに行く道中で仲間に入れろと言ってきたよくわからないアル中の若造を仕方なく仲間にし、
結局三人で賞金首を始末しに行くという感じ。

要はおっさんと若い男の役割が逆なんですね。ここもなんで変えたのかよくわかりません。
何故イーストウッド版では若い男が誘うと言う風にしたのかと言うと、
映画として重要なキャラクター成長を描く為、そしてもはや西部開拓時代のことはフィクションでしか知らない現代人に
「(金のためとはいえ)殺人を犯すということはこういうことだ」というメッセージを伝える(わかりやすくする)為だと思うんですよ。
無知で経験が浅い若者と同じ目線で物語を追えますからね。
また、イーストウッド自身が西部劇の作品に出演経験が多く、この作品はドン・シーゲルセルジオ・レオーネに捧げたという作品で
彼にとっての「西部劇」の集大成的な意味合いもあると思うんです。
「人命が軽視された所では、時には殺人が金になった そこで賞金稼ぎが生まれた。」(『夕陽のガンマン』冒頭の字幕より)という
シンプルでいて西部劇の説明としてこれ以上はない様なこの文の要素もしっかり入れていたのが元のイーストウッド版だったんですよ。
そしてそういう作品を成り立たせるためにはこのバランスでないと駄目だとイーストウッドが思ったからだと思うんですよね。

でもリメイク版では話を持ちかけるのがじじいなんですね。もちろん舞台を日本に置き換えて、時代考証や設定など色々整える上で変えざるを得なかったのかもしれません。
(ここから少しネタバレになりますが)ただ、首謀者が途中であっさり投げ出して帰るってリメイクとかそういうこと以前に納得出来ないですよ。
せめて賞金首を始末しに行ってしくじったあのシーンで、更にその仲間に追い回されて傷だらけになりながら命からがら逃げて来た先で、
「俺は何をやってるんだろう」となるくらいじゃないと、仮にも今まで死地を乗り越えてみじめで汚くても生き延びて来たじじいが
あの程度で尻尾巻いて帰るとは考えにくいし、納得し辛いですよ。
それに途中で合流する若い男も設定を変えたから持て余しちゃって成長したんだかしてないんだかよくわからない着地に落ち着いちゃってる。
更にイーストウッド版にはあった物語後半で明らかになる賞金首を始末しに行こうという話を持ちかけた「動機」というのもはっきりと示されない。

それでも前述したような「舞台を日本にして再構築する上で設定を変えざるを得なかった」と言うのならもうリメイクなんてやんなきゃいいですよ。
凄く重要な所を残さずに大体のストーリーだけをコピーする意味などどこにあるんでしょうか。
あと風景が綺麗とか、映像が綺麗なのが魅力という雰囲気を醸し出してますがそういう面でも微妙です。
(そういうの観たかったら『劍岳』とか『オーシャンズ』とかそういうの観るので間に合ってますし。)


あと細かいことを言うと、主人公と保安官(警察署長)が出会うシーン、イーストウッド版では何者かわからないまま出会うのに、
リメイク版では「こいつは○○の〜〜」みたいに既にお互いのことを知っているということがわかってしまっている。
こうしてしまうと因縁関係にあるという感じが強まってしまい、そうなると観客は最後の対決に期待をしてしまう。
でもこの映画はそもそもそこに重きを置いている映画ではないのであっさり対決は終わるんですね。
リメイク版の殺陣自体は凄く計算されたものだったし、観ていて迫力はありましたが期待したような一騎打ちでの攻防は無く拍子抜けでした。


それと批判ばっかり書くのも嫌なのでイーストウッド版の良かった所を書きますが、
主人公がモーガン・フリーマン演じる友人のネッドを誘いに行くシーン。
最初は断っていたネッドが話に乗る丁度その瞬間に壁に飾ってある銃(スペンサーライフル)が映ることで、
まだ銃を捨ててなかったことがわかると同時に画面からも「話に乗ったんだな」という意思表示が窺える見事な場面だと思いました。
真似するならこういう所を真似して欲しかったですね。(結局批判)


まとめると、「現実世界では味わえない重く辛い時間を味わいたい」という余裕のある人生を送っていらっしゃる方は良いかも知れませんが、
残念ながら僕はこの映画の良い所を見つけることはできませんでした。


<補足等>
・俳優の人達は良かったと思う。特に小池栄子とかは凄く誠実に演じようとしていて良かったと思った。
・ただ・・・佐藤浩市はやりすぎかな・・・(演出がアレなのかもだけど)
忽那汐里ちゃんは可愛かったけど、あの役やらせるには綺麗過ぎる・・・
・なんか全体的に「主人公は本来善い人で、善いことをしましたよ」感が出てて気持ち悪かった・・・
・だって最後のシーンで全てを終えて立ち去る時に本来は「俺が帰る時に邪魔をしても良いけど、邪魔した奴だけじゃなくそいつの嫁も子供も殺す!」
 みたいなセリフがある位の主人公だったはずなのに・・・
・まぁこれきっかけにイーストウッド版『許されざる者』を観るきっかけになったので良かった(無理矢理良い感じで終わる)



佐藤浩市に家を建てさせろ!!
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『マン・オブ・スティール』


ムービックス京都で観ました。



(壮絶な「S」家の実印の奪い合い映画!・・・ではありません)


また感想の書きにくい映画を観ちゃったな〜と思っているんですが、
それはなんでかって言うと、映画を頻繁に観る人達の中では「『ダークナイト』みたいな〜もしもアメコミヒーローが現実にいたら〜シリーズはもう食傷気味」
っていう人がかなりいてて、それには僕も結構賛同します。
でも「そんなことは関係無くて、単純に「スーパーマンという作品としてガッカリ」って人もいるみたいです。

ただそれを踏まえて僕が言いたいのは「ノーランだから」とか「"リアリティ"のあるアメコミヒーロー映画だから」っていう理由で
「最悪」とか「存在する価値が無い」とか言うのは違うのと思いますし、そういう目立ちたがり屋の癖して大きな流れに乗っかってるのが一番カッコ悪いと思います。


批判することが良くないと言ってるんじゃなくて、冒頭に書いたような明確な理由も述べずに雰囲気で貶すようなのが良くないということです。


こんなことを書くと「おっ?褒めるのか?」と思われるのかもしれませんが、大して褒めません(笑)



いやね、『風立ちぬ』の時も書きましたけど、僕が映画を観る時に何に重点を置いてみるかっていうと「感情移入出来る」「共感出来る」っていうことなんですよね。
それは主人公は男でなきゃいけないとかそういうことじゃなくって、民族とか性別とかそういうものが違っても「あっ、この感じちょっとわかるかも」っていう所なんですよ。
(誤解の無いように書いておきますが、行動の理由がわからないキャラクターが出てきても、「そういうキャラクター」として出てくるなら全然消化できます。)

そういうのがある映画は好きになりやすいし、ないと自分との接点を見つけられないので好きになりにくいです。


そういう意味で『マン・オブ・スティール』には好きな所がありました。
はっきり言いますが映画はそれ程好きじゃないです!というか「もうこういうの良いや」ってとこの方が多かったです。
代表的な所を挙げるとなんか凄い「設定を説明するシーン」が長くて、それだけでちょっと疲れちゃいました。
シリーズの最初はそういうもんだってわかってても「もうそれはわかったからさ、さっさと先に進めてよ」っていうシーンが多かったです。
ついでに書きますが戦闘シーンも僕はあまり好きじゃなくて、なんかCGとかで誤魔化された感じするなーって思いました。


さて、本題のグッときた所ですが、それはクラーク・ケント(カル=エル)が小学生くらいの頃のエピソードなんですけど、
彼はクリプトン星人なのでめちゃくちゃ敏感に全てを感じ取っちゃうんですね。
でも敏感過ぎるので自分の中に入ってくる情報が多すぎてパニックになってしまうんです。
でも周りの子は地球人なのでそのことを理解されないし「なんで僕だけ!?」となってしまうシーンがあって、
このシーンで地球でのお母さん(義母)が学校にやってきて一つのことに意識を集中しなさいとなだめながら教える所があるんですが、
そこがこの映画で一番グッときました!(ここまで状況説明)


というのも僕自身ちょっと繊細過ぎる所がありまして、人よりも多感な節があるんです。
それはHSPなのかACだからなのかはわかりませんが、相当生き辛いんですね。
もちろん「周りがこの俺に合わせてくれ」なんて自己中心的なことを言うつもりは更々ありませんが、そういうことを隠して日々生きている者としては凄く共感出来たシーンでした。
クラーク・ケントのお母さんが言ったことを簡単に説明すると、要は色んなことを感知するセンサーが働き過ぎているから一つに絞れば良いよってことなんですけど、
製作者の意図はわかりませんし、「クラスメイトが骨スケスケに見えた」って経験はもちろんないんですが、ちょっと個人的には自分の症状にも置き換え可能だなと思いました。
あと、「ボンクラの癖にセンチなことを言うな!!」と思われるかもしれませんが、自分は救われなかった分、映画の中だけでもああやって彼が救われるシーンがあるのは凄く嬉しかったです。



水ぶっかけるようなことを言うようですけど、かといって終盤のゴチャゴチャーっとした展開は全然良く無かったですけどね!!(台無し)



<補足等>
・あのシーンはわかりにくいっていう人は仮面ライダークウガ』でクウガがペガサスフォームに初めてなる所を思い出してくれれば・・・(余計わかりにくい)
マイケル・シャノン血管切れるんじゃないかと思うくらい頑張ってた!
ラッセル・クロウはもはやコスプレみたいで良かった!
・でもなんか後味がスッキリしない映画なんだよなー



ポチッてくれなきゃ冷凍宇宙旅3000年の刑!(重すぎる)
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