『マン・オブ・スティール』


ムービックス京都で観ました。



(壮絶な「S」家の実印の奪い合い映画!・・・ではありません)


また感想の書きにくい映画を観ちゃったな〜と思っているんですが、
それはなんでかって言うと、映画を頻繁に観る人達の中では「『ダークナイト』みたいな〜もしもアメコミヒーローが現実にいたら〜シリーズはもう食傷気味」
っていう人がかなりいてて、それには僕も結構賛同します。
でも「そんなことは関係無くて、単純に「スーパーマンという作品としてガッカリ」って人もいるみたいです。

ただそれを踏まえて僕が言いたいのは「ノーランだから」とか「"リアリティ"のあるアメコミヒーロー映画だから」っていう理由で
「最悪」とか「存在する価値が無い」とか言うのは違うのと思いますし、そういう目立ちたがり屋の癖して大きな流れに乗っかってるのが一番カッコ悪いと思います。


批判することが良くないと言ってるんじゃなくて、冒頭に書いたような明確な理由も述べずに雰囲気で貶すようなのが良くないということです。


こんなことを書くと「おっ?褒めるのか?」と思われるのかもしれませんが、大して褒めません(笑)



いやね、『風立ちぬ』の時も書きましたけど、僕が映画を観る時に何に重点を置いてみるかっていうと「感情移入出来る」「共感出来る」っていうことなんですよね。
それは主人公は男でなきゃいけないとかそういうことじゃなくって、民族とか性別とかそういうものが違っても「あっ、この感じちょっとわかるかも」っていう所なんですよ。
(誤解の無いように書いておきますが、行動の理由がわからないキャラクターが出てきても、「そういうキャラクター」として出てくるなら全然消化できます。)

そういうのがある映画は好きになりやすいし、ないと自分との接点を見つけられないので好きになりにくいです。


そういう意味で『マン・オブ・スティール』には好きな所がありました。
はっきり言いますが映画はそれ程好きじゃないです!というか「もうこういうの良いや」ってとこの方が多かったです。
代表的な所を挙げるとなんか凄い「設定を説明するシーン」が長くて、それだけでちょっと疲れちゃいました。
シリーズの最初はそういうもんだってわかってても「もうそれはわかったからさ、さっさと先に進めてよ」っていうシーンが多かったです。
ついでに書きますが戦闘シーンも僕はあまり好きじゃなくて、なんかCGとかで誤魔化された感じするなーって思いました。


さて、本題のグッときた所ですが、それはクラーク・ケント(カル=エル)が小学生くらいの頃のエピソードなんですけど、
彼はクリプトン星人なのでめちゃくちゃ敏感に全てを感じ取っちゃうんですね。
でも敏感過ぎるので自分の中に入ってくる情報が多すぎてパニックになってしまうんです。
でも周りの子は地球人なのでそのことを理解されないし「なんで僕だけ!?」となってしまうシーンがあって、
このシーンで地球でのお母さん(義母)が学校にやってきて一つのことに意識を集中しなさいとなだめながら教える所があるんですが、
そこがこの映画で一番グッときました!(ここまで状況説明)


というのも僕自身ちょっと繊細過ぎる所がありまして、人よりも多感な節があるんです。
それはHSPなのかACだからなのかはわかりませんが、相当生き辛いんですね。
もちろん「周りがこの俺に合わせてくれ」なんて自己中心的なことを言うつもりは更々ありませんが、そういうことを隠して日々生きている者としては凄く共感出来たシーンでした。
クラーク・ケントのお母さんが言ったことを簡単に説明すると、要は色んなことを感知するセンサーが働き過ぎているから一つに絞れば良いよってことなんですけど、
製作者の意図はわかりませんし、「クラスメイトが骨スケスケに見えた」って経験はもちろんないんですが、ちょっと個人的には自分の症状にも置き換え可能だなと思いました。
あと、「ボンクラの癖にセンチなことを言うな!!」と思われるかもしれませんが、自分は救われなかった分、映画の中だけでもああやって彼が救われるシーンがあるのは凄く嬉しかったです。



水ぶっかけるようなことを言うようですけど、かといって終盤のゴチャゴチャーっとした展開は全然良く無かったですけどね!!(台無し)



<補足等>
・あのシーンはわかりにくいっていう人は仮面ライダークウガ』でクウガがペガサスフォームに初めてなる所を思い出してくれれば・・・(余計わかりにくい)
マイケル・シャノン血管切れるんじゃないかと思うくらい頑張ってた!
ラッセル・クロウはもはやコスプレみたいで良かった!
・でもなんか後味がスッキリしない映画なんだよなー



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