『50/50 フィフティ・フィフティ』

こんにちは。昨日書いた記事のコメント欄がなくなってる!と思ったら、
なんかコメント書くボタンの位置が変わったんですね。タイトルの隣になってる。

ま、どうでもいいですね。では感想書きますね(笑)。

今回は『50/50 フィフティ・フィフティ』です。
(例によって見やすさを重視するために日付をずらしてますが、観たのは2月9日で、これを書いているのは2月17日です。)

『50/50 フィフティ・フィフティ』

ええと、元々観る予定はなかったのですが、京都の某単館系映画館で前記事の『ピザボーイ』とこの『50/50』が
公開されていたので勝手に二本立てで観てきました(笑)。

平日の昼間と言う事もあってか、『ピザボーイ』は僕含め二人、『50/50』は僕含め四人という少人数での鑑賞でした(笑)。
(※この事とも関係する嫌な事があったのですが・・・後半で触れます。)


この作品は、確か町山智浩さんが『キラ☆キラ』というラジオ番組の「コラコラ」というコーナーで紹介されていたのを聞いて知り、
観に行きたいなと思ったのがきっかけだったと思います。
(作品のあらすじや情報はこちらで町山さんがわかりやすく説明して下さっているので、こちらで。)

感想ですが、めちゃくちゃ面白かったです。
予告編とかあらすじを見る限り凄く地味な映画っぽかったので、あんまり乗り気ではなかったのですが、
始まってみるとすんなりと観れました。(たまに全然受け入れられなくて頭に入ってこない映画もあるので・・・)

まず、「難病モノ」みたいなやたら暗く、泣かせようとする映画が苦手だったのですが、
この作品はむやみに悲観的に描いてなくて良かったです。

でも、それは無責任に重病やそれにかかっている患者を描いているというわけではなくて、きちんとガンという病気の重さや
主人公の苦悩する姿も描写していて安易に「気楽にいけば大丈夫」っていう描き方もしていない所も素晴らしいです。

主人公は若くして自分がガンにかかったことを知り、自分自身は混乱しながらもその事実を受け止めようとしているのに、
周りの人々が本人より慌てたり何か特別な事をしてあげたりしようとしている姿が面白かったですね。
特に「うわーこういう人いるよなー」と思ったのが主人公の彼女でした。
主人公はその彼女と同棲していて「僕の病気は凄く重いから、もし辛ければ別れてくれて良いよ。」という風な事を彼女に
言います。しかし彼女は「なんて事を言うの、私はそばにいるわ」みたいな事を言って主人公を支える事を選択するんですが、
看病をする内に看病するという事の重大さに気付かされ、どんどん支えきれなくなります。

ここの描写が凄くて、主人公が抗がん剤治療を受けに病院に行くのに彼女が車で送迎するのですが、
「病院に入りたくない」と言い、その理由を「負の空気を感じたくないから」(ここらへんのセリフは曖昧です。すいません。)
みたいなことを言って病院の中に入る事を拒んだり、迎えに来ると約束したのに連絡すらなかった事を咎めると
「これでも私なりに頑張ってるのよ!」みたいな事を言ったりしていて完全に「看病をする」という事の重大さをわからないまま、
もしくは意味を履き違えたまま引き受けたと言う事が判明してしまうんです。

こういった事は僕が経験した事はないですが、恐らく起こり得る事だろうなと凄くリアリティーを感じました。

風邪をひいたときの看病とは違い、ガンなどの重病は看病というより介護に近くなると思われます。
要は人の人生を支え、場合によっては背負って生きていかなければならないという事です。
それは物凄く大変でしょうし、綺麗事では済まない事だと思います。

でも、「身捨てたくない」という思いや感情で、彼女は主人公の元を離れないという選択をするのですが・・・。
こういった行動もわからなくないし、実際よく考えずにその場で判断するとこの彼女の選択もしてしまうと思います。
うーん、でもそれってやっぱり「可哀想」っていう感情とか、世間体を気にした行動に過ぎないんだよなぁと思ってしまいます。
相手ではなく、自分の問題として考えなきゃいけないのに「気分が落ちる」とか「自分も頑張っている」という
相手と自分を分けた上で自分の評価をして欲しいという立場ではやっていけないのではないでしょうか。
少なくともああいうアプローチはしないだろうと。

ま、でも彼女に限らず周りの反応はそうなりがちで、主人公の母親やカウンセラーも主人公が求めている反応や行動とは
違う事をしてしまう(どういう行動をとって良いのかわからない)んですね。
劇中でも出てきますがまさに「腫れものを触る」様な扱いだと。
その中で、唯一フランクに、いつも通り接してくれたのは男友達だったという話です。
恋愛、闘病、友情というどうしてもどれかに偏りがちな要素をそれぞれを上手く繋ぎ合わせて作品が成り立っているのが凄いと感じました。
そして、それが受け入れられるのは、日常というのはどれか一つの側面だけで成り立っていないからこそだと思います。

というのも、「難病モノ」というと何故か恋愛と絡めて凄く悲劇的に描く作品が多いんですよね特に邦画に、というか邦画に限らずですが。
具体的に言うと、「大好きな彼が突然いなくなって、実はいなくなったのは彼が死期が近かったからで・・・」みたいな、『〜空』みたいなものの事ですが・・・(笑)。


小難しく書いてしまいましたが、劇中ではむしろ笑える所の方が多く、それはやっぱり男友達の存在が大きいでしょう。
この男友達はセス・ローゲンが演じているのですが、演じているのかわからない・・・というか完全にセス・ローゲンです。
実際この話はセス・ローゲンの友人でありこの作品の脚本のウィル・ライザーという人の話から着想を得て作られたらしいので、
全てが事実ではないでしょうが・・・僕には劇中で「(劇中でセス・ローゲンが)やってた事ほとんどやってんじゃね?」と
思ってしまって仕方ないのです(笑)。
それぐらい自重しないセス・ローゲンぶりを本作では発揮してくれます。
特に予告にもあったバリカンのシーンは最高でしたね。

強いて言うなら、終盤のある「実はこうでした」的なシーンはあんなハッキリ映して欲しくなかったな、と思ったり・・・。
唯一気を遣わず最後まで一緒にいてくれた事が何よりの証明なのだから、あんなわかりやすいのはちょっと・・・と思ったりしました。


まぁそんなのはハッキリ言って難癖ですよ!(笑)
主人公を演じたジョセフ・ゴードン=レヴィットの一々の表情や行動から出る謙虚さや誠実さ、自分を過度に主張する事はないが
きちんと自分を持っている感じは彼が器用ではないが、まともな人間であることを十分に表していたし、
セス・ローゲン役(※違います。劇中ではカイルと言う名前)のセス・ローゲンの行き過ぎた悪ふざけも劇中の
キャラだけでなく、観客もハラハラさせつつ、でも実は良いやつなんだなという事も絶妙なバランスで表していました。

あと、アナケンさん(アナ・ケンドリックの事です)がまー可愛い。
この人の外れ役観た事ないなー。非の打ちどころの無い、超絶美人って感じじゃない所が良い!(褒め言葉)
あと彼女役のブライス・ダラス・ハワードという人も良いキャスティングですね。
笑顔の心もとなさというか、心ない感じ。ザ・愛想笑い!みたいな表情が彼女役にはまってました。
引き攣り笑顔界の有力な若手だと思いますよ。是非とも二代目メリル・ストリープの座を目指していただきたい!
「目の前で起こっている事をどうにかして見ない事にしている」表情が上手過ぎでした。
「こーいう人いるー!」と思わせただけでも評価できると思います。


決して軽いテーマではないけれども、軽い感じで観た人にも何か残すような、そんな映画であった事は間違いないです。
人によっては号泣すると思いますよ。(※僕の後ろの方に座っていたおばちゃんといった感じの方は終盤ずっと泣いてらっしゃいました。)


『ピザボーイ』のついでだったけど、『50/50』の方が僕は面白かったです。


〜〜〜〜余談〜〜〜〜
『ピザボーイ』と『50/50』、どちらの作品も最初は客が僕一人しかいなかったためか、上映ギリギリまで
ロビーにいる大学生のバイトらしき映画館スタッフの私語がうるさかったです・・・。
単館系の映画館は好きで、スタッフが大学生ぐらいの人ってよくみかけますし、昔からある単館系(いわゆるミニシアター)が次々と
潰れていく中頑張っているのは凄く応援したいし、実際新しい取り組みにチャレンジされているのも知っているんですが、
ああいうのをされると行きたくなくなるのが正直な気持ちですね・・・。

というか私語というレベルじゃなくて結構な大きさの声ではしゃいでたんですよね!あれはいかんと思いますよ。
せっかく良い映画上映してくれているのに凄くもったいないなーと思いました。